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相変わらず写真整理をしている。
僕は2005年ごろに銀塩からデジカメに変えたのだが、フィルム時代に撮影した写真の中に次のような写真があった(笑) メコンデルタ大洪水の取材のときに使用したヘルメットとライフジャケットを着用したぼく。 鳥インフルエンザ取材のときに使用した防菌服と防菌マスクを着用したぼく。 2つとも命がけの取材だったことを思い出す。 洪水取材では、約1週間、出来るだけ被害の大きい地域ばかりを探しながら歩いた。 袋小路に迷い込んだような気分だった。行けども行けども一面の湖のような場所。深いところでは約3ヶ月かけて5mもつかる。方位磁石と現地の人々の情報だけを頼りに行く。まったくと言っていいほど地図が役に立たない。 あまりに雄大なメコン川だった。 情報を聞こうと役所だと思って立ち寄った場所が、現地を調査するベトナム軍の宿舎だったり、車で入れるところまで入り、舟をチャーターして救援物資を運んで、帰ると、ぼったくりボートで車までつけてくれなかったりして最悪な取材だった。 鳥インフルエンザ取材では、目に見えないウイルスとの格闘のため、どこまで危険なのかがわからない状態。 当時、確か55人がベトナム全土で亡くなったと思うが、全土の中から亡くなられた遺族の取材をしようとして、新聞と情報だけを頼りに現地へ赴くと、ソクチャン省というメコンの「ド」がつく田舎で、おまけに家まで行くのに、車では入れないような道を今度はバイクタクシーで入り、そこから少しボートに乗った後、30分程度歩いて、腰までの川をわたり、また、15分程度歩く。 この人たちはどうやってここで生活を送っているんだと思った。 娘が鳥インフルエンザで亡くなられた遺族をようやく探し出したはいいが、その家族は、クメール語(カンボジア語:ベトナムのソクチャン省などは、昔、カンボジア領土だった)しかできない。 どうすれば良いんだと思っていたら、バイクタクシーの一人がベトナム語とクメール語が話せたので、日本語→ベトナム語→クメール語、クメール語→ベトナム語→日本語で取材をした。 おまけに田舎なので、噂はあっという間に広がる。 政府関係者に取材しているのがばれるとヤバイので、出来るだけ要点のみの取材をし、後にした。 ある場所では、鳥をすべて撲殺するように政府に命じられ、3200羽の鶏を殺したが、借金をして、養鶏の仕事をしているため、こっそり200羽程度を家の裏に残し、卵を産ませている家の取材をした。 その場所は、H5N1(鳥インフルエンザウイルス)が出た場所にも関わらず、現地の人々は、マスクさえせず、生活を送っていた。 取材をさせていただく立場の人間が、防護服なんて着てられない。 ということで、「素」で取材をした。(本来、このようなことは許されることではない) 取材後にインターナショナルの病院に行き、帰国までに検査したのは言うまでもない。 (注意:タミフルは取材までに飲用していました) 他にもかなりのエピソードがある。 話し出すと止まらないので、この辺で置いておく。 6月の京都での写真展では、当時の洪水の取材や鳥インフルエンザ(写真展では初)の取材の発表もする。 ぜひ、お時間作って、見たことのないベトナムを見に来て欲しい。 ●2010年6月2日(水)~7日(月)10:00~20:00 [写真展]〔京都市〕 『1000枚で伝えるベトナム』 場所:北大路ビブレ1F SPACEろさんじ 住所:〒603-8142 京都市北区小山北上総町49-1 お問い合わせ先:090-6665-9115(村山) 入場料:無料 備考:村山が渡越した過去12年間、29回の集大成の写真展
by yasumu43jp
| 2010-04-23 03:55
| 日常
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