Profile

村山康文
フォトジャーナリスト
1968年兵庫県生まれ。主にベトナムの社会問題をカメラとペンで追いかけ、弱者を守る立場からエイズ・戦争・人権・差別などをテーマに各地で写真展や講演会を開いている。
京都在住。

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詳しくはHPをご覧下さい。



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第6回国際平和博物館発表レジュメ公開
今月7日に第6回国際平和博物館会議において、私が発表したレジュメを公開いたします。

論文、レポートなどに引用される場合などは、出典先を必ず明記してください。特に写真を転用する場合は、必ずメールにてお知らせください。
私も引用している箇所がありますので、ひとこと声をかけてくださると嬉しく思います。

メールアドレス:yasumu43@hotmail.com

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ベトナム・
戦後報道と平和博物館における写真の役割


フォトジャーナリスト 村山康文

<前置き>

ただいまご紹介に預かりましたフォトジャーナリストの村山です。どうぞよろしくお願いいたします。

昨日、いくつかの分科会に参加させていただいたのですが、大変有意義なものであったと思います。人々が、それぞれの考えをぶつけ合い、ディベートすることが「対話」であり、「争い」の一番の解決方法だと感じました。この会議が実りあるものになるよう、私も努力したいと思います。

今からスライドをご覧いただきながら、発表をいたしますが、まず、覚えておいて欲しいことがあります。

①それは、メディアというものは、社会環境と権力を正確に監視する「Watch Dog」(監視役、番犬)であり、大衆は、メディアの怠慢や横暴を厳しくチェックする「Watch Dog」でなければならないということ。

②そして、私は、今日、ベトナムをサンプルにあげますが、これは、どこの国においても全く同じことが言えるということ。

この二つを覚えておいていただければと思います。


1.はじめに

ベトナム戦争を追い続けた報道写真家の石川文洋氏に初めて出会ったのは、1998年、私が29歳の時でした。その年、京都・大阪で開催された第3回世界平和博物館会議に参加させていただく機会を、私は運良く得ることができました。

当時、「戦争」や「平和」などという言葉にまったく無縁で無関心だった私が、現在、フォトジャーナリストとして、「平和の必然性」のため、社会問題を多くの人々に発信することが出来るのは、10年前の石川氏との出会いと、今年6回目を向かえる国際平和博物館会議に参加したことがきっかけだと言っても過言ではありません。

あれから10年、私はベトナムを追い続け、年に2、3度訪越し、弱者の声にならない声を記録し続けています。歴史上では75年4月30日に終結したベトナム戦争が、現在、貧困、格差、差別、麻薬、HIV/AIDSなどの様々なものに変容し、未だに傷痕を残しているということに気づきました。

今回は、ベトナムの戦場報道と戦後報道、また、平和博物館における写真の役割について言及したいと思います。


2.ベトナムの戦場報道と戦後報道

ベトナム戦争は報道関係者に開かれた戦場でした。北ベトナム軍とアメリカ率いる南ベトナム軍の双方が報道陣に従軍を許可し、直ちに戦場の様子を世界に伝えました。その報道は、社会に大きな衝撃と様々な影響を与えました。特にアメリカでは、泥沼化していく戦場の様子や北爆に関する報道は、テレビ局や新聞各社が自主的に規制する風潮が高まりました。メディアは真実を伝えなくてはいけません。にも関わらず、米国メディアは、ベトナム戦争中、アメリカ優位の報道を行い、社会及び視聴者を誘導したのです。

アメリカ政府は、ベトナム戦争時に戦場報道の重要性を認識し、以降の湾岸戦争を初め、メディアコントロールに力を注いでいくことになります。この際の戦場報道は、その後の報道のあり方を様々な面で変えていきます。

ベトナム戦争中は、様々な世界のメディア及びフリーランスの報道カメラマンや記者が戦争の真実を伝えようと駆け巡りました。しかし、ベトナムにおける戦争後の報道をしている報道関係者はほとんどいません。

なぜでしょうか。私が考えるいくつかの問題点と解決案を提示してみます。

ベトナムの戦後報道に関して言えば、【問題点】が3つあると思います。

まず、ひとつに、
① 現在のベトナムがメディアに対して開かれていない
国境なき記者団発表の「2007年 報道の自由度」によると、169の国と地域において162位という最下位から8番目という低い位置にベトナムはあります。ベトナムで報道許可証(プレスカード)を取るまでに長い時間を要するケースがある場合や取ることが出来ないケースもあります。

つぎに、
② ベトナムの枯れ葉剤被害者報道に関して言えば、奇形などの症状と枯れ葉剤の因果関係を証明できていません。その因果関係を証明していくのには、長い時間を費やし、その時間を作ることが大手メディアには出来ません
現在のところ、奇形などの症状と枯れ葉剤の因果関係において、明らかにされていないのは事実です。医学的、科学的に証明されたものを報道する必要性があります。
  
そして、
③ 報道関係者自身がベトナム戦争は終わったものであると認識し、戦後報道の必要性を感じていません
ベトナム戦争後もアメリカが関与する戦争が世界のあちらこちらで起きています。次から次へおきる戦争そのものの方へメディアは進出し、終わったとされる戦争には真剣に向き合おうとしません。

この3つが原因になっていると思われます。

次が私の考える【解決案】です。

ベトナム戦争後に生まれた世代に現れている重度な疾患や症状。奇形と枯れ葉剤の因果関係の証明するためのデータが、まだ今のベトナムには少ないのです。まず、このデータ収集をすべきなのですが、現在のところ、ベトナムに金銭面及び専門家の調査に関して余裕がないのが事実です。

この部分を補わなければなりません。

そのためには、ベトナムは、メディアに対しての垣根を低く設定し、枯れ葉剤被害者たちと連携して世界へ報道する姿勢を示すことが必要だと思います。

また、世界のメディアは、因果関係、衝撃度にとらわれず、「戦後のベトナム」という観点から「戦争」を報道する姿勢を示す必要性があると感じます。


3.平和博物館における写真の役割

平和博物館においては、戦時中の惨劇だけを取り上げる展示に私は疑問を持ちます。戦争というものが、戦後にあらゆる悲劇を残すのは事実です。もちろん、惨劇の中では人びとは涙し、苦しみます。「戦争」がないことを「平和」とは言わないとしても、私は、「平和」という言葉に「希望」を見出したいと考えます。

私は、2007年7月~8月半ばにかけて、ベトナム・ホーチミン市立戦争証跡博物館において写真展を開催させていただきました。49枚の写真展示の中には、ベトナム戦争後、何らかの障害や心に深く傷を負っているにも関わらず、必死に生きる人々の美しさ、すなわち、個々の人生に輝き持った人びとの姿を追ったものを多く展示しました。

その展示は、たくさんの来場者の目にとまり、本当の意味での「平和」や「希望」を与えたと考えます。

博物館での展示期間中、次のような意見を私は耳にしました。
「笑顔の写真を見ると戦争というものがどれほど愚かなものであるかを考えさせられる」
「(ここの博物館全体を見て)この展示には、心が和む瞬間があった」
「何かしらの勇気を感じとることができた。次の行動へ進む努力が必要だと感じた」

真実を写す意味での写真には、大きな力を感じる瞬間があります。例えば、文章だけで物事を伝えようとするときにたくさんの文字に労力を使ったとしても、受け手にも同じ、もしくは、それ以上の労力を必要とします。しかし、芸術的な写真はともかくとしても、ジャーナリズムの写真には、その必要性を感じません。

私が、今後の平和博物館に望むべきことは、文字よりも写真を増やし、かつ、将来への展望を表すような展示ができるよう期待します。


4.まとめ

私は、ベトナム戦争においては未だに終わっていないと考えています。今後、同じような戦争・惨事を繰り返さないためにも、現在のベトナム、いわゆる戦後のベトナムを伝える必要性をひしひしと感じています。

ベトナムの戦後報道の必要性は、戦争の撲滅、恒久平和の可能性を追求する意味でもメリットがあるのではないでしょうか。


<写真説明>

【資料】(撮影:村山康文)

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父が枯れ葉剤をあびた
彼女の名前はドー・トゥイ・ユンさん(撮影当時18歳)。彼女の父親は、若いころにベトナム最南端のカマウ省で農業をしていた。そこで米軍が散布した枯れ葉剤をあびた。現在のところ、父親と彼女のひとつ下の弟に枯れ葉剤の影響と思われる症状はみられないが、彼女は写真の通りである。右耳は聞こえず、右目はない。右の頭に血はあまりなく、柔らかい。左足を引きずって歩く。
(2006年2月 ホーチミン市)

2006年9月、彼女を日本に招き、京都大学医学部附属病院で手術を行なった。担当の形成外科医と医師団は、「彼女は、枯れ葉剤の影響である可能性は極めて低い」との診断を下した。ベトナム政府からは、「枯れ葉剤被害者である」と認定され、わずかばかりの支援を得ている。



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母と子
ホーチミン市にある中華街(チョロン地区)で物や宝くじを売る仕事を家族でしている。
母40歳。長男11歳。長女9歳。次男11ヶ月。
長男と長女に枯れ葉剤の影響と見られる障害が出ている。
(2005年8月 ホーチミン市)



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駆ける女子学生
統一30周年記念式典のパレードに参加する女子学生
(2005年4月 ホーチミン市)

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by yasumu43jp | 2008-10-09 00:38 | 資料
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