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Profile

村山康文
フォトジャーナリスト
1968年兵庫県生まれ。主にベトナムの社会問題をカメラとペンで追いかけ、弱者を守る立場からエイズ・戦争・人権・差別などをテーマに各地で写真展や講演会を開いている。
京都在住。

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村山康文写真事務所


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村山康文写真交流クラブ

ベトナム・スタディーツアー
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今夏(2010年8月~9月)開催予定の第21回ベトナム・スタディーツアーの募集をはじめました。
詳しくはHPをご覧下さい。



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8月14日に掲載された新聞記事の翻訳と結婚写真
8月14日に掲載された新聞記事の翻訳と結婚写真_f0164224_22334316.jpg
     結婚披露パーティーの日の二人(撮影:瀧野恵太;修正:トゥン)


ベトナムの全国紙バオ・トイチェの記事
http://www.tuoitre.com.vn/Tianyon/Index.aspx?ArticleID=273523&ChannelID=331


(翻訳文そのまま)
ベトナムのお陰で夫婦になる

2008年8月15日、彼と彼女の簡素な結婚式は、ホチミン市の小さいレストランで行なわれます。彼女はベトナムのアオザイを着て、お客様に挨拶をします。日本2006年9月。今までお互い知らない二人は、毎日京都の医科大学病院にで、枯れ葉剤の影響によって、顔が腫れてくるベトナム人女性-Thuy Duong(TD)さんノ世話を一緒にされました。

彼はTDさんが日本で治療を受けるように手続きをしました。そして、彼女は家が近いので、毎日ボランティアでTDさんの世話をするため来ました。2ヵ月後、二人の愛を始めました。もう2ヵ月後、彼は「君、結婚しせんか」と表白しました。

ベトナムの良縁

「ベトナムのお陰で私たちが知り合っていますので、ベトナムを結婚式場にして、決めました」
花婿の村山やすふみさんは、明るくてにこにこしながら、自分の恋愛の話(LOVE Story)を語りました。自由な写真記者として、ベトナムの色々な地方へ行きました。2001年、Soc Trang省に行った時、TDさんの変形した顔に会った。彼女を日本の連れて、治療するのを決めました。村山さんのしたことは、TDさんの普通の顔を見つける手伝いだけでなく、恋人に出会いもなりました。

「TDさんがいなかたら私と妻は出会えなかったでしょう」と村山さんは言いました。そばにいる花嫁の横河真理子さんが続けます。「私たちは縁があると思っています」。「初めて村山さんに会った時、実は特に印象がなかったです。さらに、『変な人』と思ったですが、毎日病院で会ったり、TDさんの世話を一緒にしたりして、だんだん彼が心が広くて、熱心にベトナムの枯れ葉剤障害者を手伝う方と理解できました」と真理子さんが自白しました。なので、二人の良縁起源のベトナムで結婚式を行なうと聞いたら、彼女はすぐに同意しました。

簡素な結婚式

この2、3日、彼と彼女はホチミンで急いで結婚式の準備をしています。沢山写真をとらず、ウェーデイングドレスも着ず、せめて結婚招待状も花婿にディザインされました。ベトナム人に驚かせたことは、招待状に「出席費:20万ドン」その下に、お祝い金とプレーゼントが不要」と書いてあることです。理解しにくいをさせましたが、村山さんが、それは日本で普通のことだと言いました。

日本人の考え方は、新郎新婦に割当金を出すことは披露宴の費用を手伝う一つの事なので、招待所にはっきり書いてあります。ベトナム人は気さくで、祝い金を沢山出す人もいますので、村山さんは皆様が沢山を出せずように、その費用水準を選びました。

村山夫妻は、100お客様を招待しようと思っています。ほとんどは花婿のベトナム人の友達です。残念ながら、彼らに対して大切な人-TDさんが来られませんです。パーティーに出る方々は、VIET-DUC双子のDUC様夫妻とTU DU病院のお医者様、HCM市戦争博物館のお友達もいらっしゃいます。

「なぜ小さいレストランを選んだか」と聞かれる時、彼は「ベトナム人はよく豪華なレストランでパーティーをします。それなら、お客様が参加する時も、きれいな洋服を着なければならない。しかし、私の客は色々な階級がいます。高い地位の方もいるし、せーオムの方もいますので、小さいレストランでやると、皆を楽にさせる」と説明しました。そういう理由で花嫁も地味な衣服を着ます。

日本の終戦記念日8月15日に結婚式をすることにより、村山さんはお互いのけんか等もこの日からなくなると期待しています。

彼らの愛は永遠に幸せであるように。

*ベトナム人との負い目を持つ人
日本の男性とベトナムの枯れ葉剤による障害者を援助する600名称サインの話によってTuoi Tre新聞の読者によく知っている村山やすふみ様でございます。10年前にKISTUMEIKAN大学で勉強していた時、彼は途中でやめてベトナム人の障害者を撮影するためベトナムに来ました。今まで30回くらいです。戦争博物館の副社長-Nguyen Hong Van様は「彼はベトナムと負い目がある人」と呼びました。村山さんは不思議にベトナムを愛しています。心を込めて、写真でベトナム戦争の障害者のことを世界に知らせます。それは切実で貴重なことです。



8月14日に掲載された新聞記事の翻訳と結婚写真_f0164224_22347100.jpg
     招待状


(翻訳文それらしく修正)
ベトナムがつなげた夫婦

2008年8月15日、ささやかな結婚式がホーチミン市の小さなレストランで行なわれます。新婦は民族衣装のアオザイを着て、参列者に挨拶をします。

06年9月の日本、今までお互いのことを知らなかった二人は、枯れ葉剤の影響で顔に障害を持ったベトナム人少女ドー・トゥイ・ユンさんの支援のため、毎日、京都大学医学部附属病院で毎日顔を合わせるようになりました。

新郎はユンさんが日本で治療を受けるように手続きをしました。そこに、病院から家が近かった彼女が、ボランティアでユンさんの世話をするために通うようになりました。初めて会ってから2ヵ月後、二人は愛を確認しました。さらに2ヵ月後、彼は、「結婚してくれないか?」と彼女に告白しました。


ベトナムが縁

「わたしたちは、ベトナムが縁で知り合いました。だから、ベトナムで披露パーティーをしようと決めました」
花婿の村山康文さんは、にこにこしながら、恥ずかしそうに二人の恋の話を語りました。

彼はフリーフォトジャーナリストとして、ベトナム各地を訪れています。01年、ソクチャン省に行ったとき、初めてユンさんに会いました。その後、彼女を日本へ連れて行き、治療できないかと考えました。その彼の行動は、ユンさんの手術だけではなく、恋人との出会いにもなりました。

「ユンさんがいなかったら、ぼくは妻と出会うことはなかったでしょう」と彼は話しました。そばにいた横川麻里子さんも「私たちには縁があると思っています」。

「私が初めて村山さんに会ったとき、これといった印象はなかったです。ただ、『変な人だなぁ~』と。でも、それから毎日彼と病院で会うようになり、ユンさんの世話を一緒にしたりしているうちに、だんだんと彼は心が広くて、真摯に枯れ葉剤被害者と向きあう人だと感じました」と麻里子さんは話します。そうして、二人をつなげたベトナムで結婚披露パーティーをしたいという彼の気持ちに、彼女はすぐに同意しました。


ささやかな結婚式

この数日、二人は急いで結婚披露パーティーの準備をしています。写真も撮らず、ウエディングドレスも着ず、招待状も村山さんがデザインをしました。ベトナム人を驚かせたことは、招待状に「参加費20万ドン」そして、その下に、「お祝いとプレゼント不要」と書かれていたことです。ベトナム人には理解できないことですが、村山さんは、それは日本でよくあることだと話しました。

日本でのささやかなパーティーでは、招待状に金額をはっきりと書いてある場合もあるそうです。ベトナム人の中には、お祝いをたくさん出す人もいます。村山さんは、気を使ってたくさん出さないように、その金額を選びました。

村山夫妻は、100名のお客さんを招待しようと思っています。ほとんどは花婿のベトナム人の友達です。残念なことは、二人にとって一番大切なユンさんが来れないことです。パーティーの参加者には、ベトちゃん・ドクちゃんのドク夫妻、ツーズー病院関係者、ホーチミン市戦争証跡博物館の方もいらっしゃいます。

「なぜ小さなレストランを選んだのですか?」。
「ベトナム人はよく豪華なレストランでパーティーをします。そしたら、参加者はきれいな洋服を着なければならない。しかし、ぼくの友達には色々な階級の人がいます。高い地位の方もいるし、低い地位の人もいます。小さなレストランでやれば、要らぬ気は使わなくてすむでしょ」と彼は話しました。

日本の終戦記念日の8月15日に結婚披露パーティーをする意味には、村山さんはお互いのけんか等もこの日からなくなればと期待しています。二人の愛は永遠であるように。


*ベトナムに想いを抱く人
ベトナムの枯れ葉剤被害者を支援する署名活動によって600人以上のサインを集めたことでもトイチェ新聞読者には有名な村山康文さん。10年前、京都の立命館大学に在学中にベトナムと出会い、中退後、枯れ葉剤被害者を撮影するためにベトナムに来ました。25回の渡航。戦争証跡博物館の副館長のグエン・ホン・ヴァン氏は「ベトナムに想いを抱く人」と話します。村山さんは心からベトナムを愛しています。写真でベトナム戦争による被害者を世界に伝えます。それは、ベトナムにとって切実な願いです。

by yasumu43jp | 2008-09-13 22:40 | 最新記事
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